Heartbleedの問題の影響と原因が明らかになってきたあたりで、STAP細胞に関する議論でモヤモヤしていた部分に意外なつながりがあるような気がしてきた。
Heartbleedに関して、前提として踏まえている記事はこのあたり。
STAP細胞をめぐる論点として立場を分けていたのは、学術研究の
- 研究成果そのもの
- 実験/研究の作法
どちらがどの程度大事で、特に 2 に大きな瑕疵がある場合、1 はどのように評価されるべきかといったものだった。
これに対する立場は以下のように分けることができる(極論です)。
- 1 のみが本質的に重要で 2 なんてどうでもいいよ派
- 2 はとても重要で 2 がだめなら 1 も価値がないよ派
Heartbleedの件でソフトウェア開発者として改めて痛感したことは、基盤を支える技術には その重要度に応じた体制、議論、リリースエンジニアリング、設計、検証が欠かせないということだ。 さもなくばHeartbleedのように多大なコストを多くの人が突然払わされることになる。
- 信頼性のないチップ
- 信頼性のないストレージ
- 信頼性のないネットワーク
- 信頼性のないOS
- 信頼性のないライブラリ
- 信頼性のないプログラミング言語
- 信頼性のないコンパイラ
- 信頼性のないブラウザ
- 信頼性のないクライアントスクリプト環境
どれをとってみても、上層を作る人間にとって信頼性のないプラットフォームは地獄に近い。
一方で、科学の分野で巨人の肩が突然崩れ落ちない前提にあるのは、
- 実験の作法としての正しさ
- 研究成果の発表の作法としての正しさ
- 中でも特に、既存の研究を踏まえ、引用/参照する作法の正しさ
- 研究者や研究機関の倫理観に対する信頼性
などにあると思う(自分は科学者としては甚だ不完全なのでおそらくこれはとても不完全なリストだと思う)。
STAP細胞の件で”2”を重視するかどうかの姿勢はこのような信頼の積み重ねに対する意識の違いに現れているような気がする。